5.26憲法講演会を開催
「高田健講演」に励まされ、2000万人統一署名達成に向けたラストスパートを誓い合う
憲法をいかす自治体労働者東京連絡会(以下東京連絡会)が主催した「5・26憲法講演会」が、5月26日(木)の夕方、都庁職大会議室で開催され、全都の幅広の組織から55名が参加しました。
講師の高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会事務局長)は、『改憲と戦争する国づくりを止めるために』と題して講演を行いましたので、講演要旨を抜粋して紹介します。
戦争法の闘いでは、確かに負けたが、"敗北感""挫折感"などはない
高田さんは、60年代・70年代の安保闘争を振り返り、70年安保闘争以降は学生運動などの反戦運動が壊滅状態に追い込まれ敗北感があったそうです。しかし2015〜16年安保闘争では、確かに戦争法を強行成立させられ悔しかったですが、挫折感や敗北感がなかったと述べました。
戦争法の闘いには様々な分野や階層の人びとが、全国各地で立ち上がり多くの運動が生まれて合流しました。確かに負けたことは間違いありませんが敗北感はなかったし、休んでいる暇もなく直ぐに運動が再開しています。
戦争法は施行され、まさに「新たな戦前」の時代となった
5月21日に札幌で開催した、「許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会」では、同日に陸上自衛隊第7師団350人が南スーダンでのPKO活動として南スーダンへ派遣されたことを受けて、自衛隊員の母親である平和子(たいらかずこ・ペンネーム)さんのスピーチを紹介。
自衛官の家族は、政治的批判をすることを許されないそうですが、平さんは息子さんに迷惑が掛からないように絶縁状を渡して別れを告げ、声をあげることを決意しました。南スーダンでは、10歳以前後の少年兵が銃を持って戦っています。PKOに違反しながら理屈をつけて戦場に自衛隊を送り出す安倍首相を、割烹着を着て抗議行動を行っているそうです。
60年代から反戦運動を行ってきた高田さんですが、まさか自衛隊が再び戦場に行くことになるなんて夢にも思わなかったそうです。
今、85年前とは違う「新しい戦前」となっています。当時、日本軍は中国や東南アジアに出ていきましたが、南スーダンに派遣された350人の自衛隊員は戦争をするかも知れません。このまま放って置けば、間違いなく戦う国になってしまいます。「戦前」を「戦時」にしてはいけません。それを止める可能性は私たちにはあります。
自民党改憲草案の国家緊急権(緊急事態法制)の危険
4月14日に起きた熊本・大分地震の翌日に、菅官房長官は、非常時の首相権限を強化できる「国家緊急権」の必要性を唱えました。
東日本大震災や、伊勢志摩サミットなどでテロのような事態が生じた時に、憲法に緊急事態条項がなければ、うまく対応できないというのです。
自衛隊出身のヒゲの佐藤参議院議員は、東日本大震では、ガソリン不足が深刻だったが、福島県の郡山市まで行ったタンクローリーの運転手が、原発事故の影響がある沿岸部の南相馬市へ行こうとしなかった。しかし、憲法に緊急事態条項があれば元の運転手に「行け」と命令できたと言うのです。
民主的憲法として有名だったワイマール憲法の下で、ヒトラーは政権を握り、それに規定されていた48条の国家緊急権の解釈によって、共産党や社会党議員を追い出して「全権委任法(授権法)」を成立させました。
それによって、ワイマール憲法が保障していた国民の諸権利を「永久停止」させて独裁政権を樹立した歴史があります。
2010年の自民党の改憲草案72条では、首相がリーダーシップを発揮し易いように、閣議に諮らないでも首相が単独で決定できる「専権事項」を増設しているなかで、安倍首相は衆院予算委員会で「私は立法府の長です」発言を2度も繰り返しました。
自治体を合理化削減しておきながら、被災地などに「行け」と、自治体職員や医療、運輸関係者を命令するけど、行きたい人も居れば、行きたくない人も居り、まさに基本的人権を保障する憲法18条を否定しようとするものです。
戦後70年子どもたちに渡すバトン平和を開くか戦争への道か
2015年安保闘争の大きな特徴は、日本の文化が変わった新しい市民運動に変わってきたことです。
14年初めからの集団的自衛権の解釈改憲に反対する、「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」、「戦争をさせない1000人委員会」、「戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター」の3団体の鼎立状況が克服され、14年末に「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」が誕生しました。
特定の党派の運動ではないので、弁護士のユニオンショップ「日弁連」も市民がいたからこそ運動に加わりました。1+1+1=3ではなくて、もっとダイナミックになった運動が展開できました。これが核となってさらに反原発団体などの多くの団体が加わり「2015年5・3憲法集会」実行委員会に拡大し、1万人規模の集会がつづけて実現できました。
この運動には市民が一人で参加してくれました。ツイッターやフェイスブックなどSNSで集会を確認し、全く参加したことのない大量の市民が行動に参加しました。
サッカーの中田さんは「自立する子が伸びる」と言っていましたが、2015安保闘争では自立して参加する市民の行動が増えたのです。
国会の内外が車の両輪となったこれらの行動のなかで、8月30日と9月14日は、国会正門前の車道が参加者によって開放されるという60年安保以来初めての事態が生まれました。再三にわたって総がかり行動実行委員会が警視庁に「正門前車道の開放」を要求しましたが、警備当局がかたくなに拒んできました。
昨年の臨港パークでの5.3憲法集会には、民主・共産・社民・生活の4野党の党首らが出席しましたが、民主党の長妻昭代表代行が共産党の志位委員長と手をつなぐことを拒否しました。そのことはSNSなどで大きく非難されましたが、今年の5・3憲法集会では、民進党の岡田代表と志位委員長、社民党吉田党首、生活の小沢代表が手をつないだことは、1年間の運動による大きな変化です。
残念ながら野党がバラバラでは自公政権に勝てないのです。参議院議員選挙でも、1人区での野党候補の1本化を実現してきましたが、その要求はむちゃくちゃなものでした。でも結果として「市民連合」ができて32の1人区で憲法改悪を企てる安倍政権と闘い、最低限でも与党と補完勢力の3分の2議席の確保を阻止し、安倍内閣の退陣を実現したい。
情勢は厳しいですが、失望やあきらめはいけません。社会を変えるために市民革命を前進させましょう。
当面は、憲法の三原則が根付き活きる社会をめざして頑張りましょう。